マッコウクジラ
今回もオニロスコピーの続きである。〜を斬る!という文句は何かを分析し解明するときに使われる低俗なテレビ番組風の言い回しであるが、作者に敬意を込めてあえて反対にした。
第一の夢として描かれるマッコウクジラの骨の夢について書きたい。
BGMはエニグマのThe Cross of Changes である。
夢の内容
証人は夢の中の砂浜を長い間歩いていた。さながらサルバドール・ダリの絵に出てくるような意識の中間領域を思わせる砂浜だろうか。
空は真っ青の紺青であり、辺りはとても静かで砂浜の色は真っ黒だった。
そのうち証人は波打ち際で岩のように巨大な頭蓋骨に遭遇する。
ボタンをひとつ拾っただけの中原中也とは大違いである。
チョエニ・バルドゥとの類似点
恐ろしいのはここからである。頭蓋骨は牙を備えていたことから証人はマッコウクジラの骨と断定した。証人はこの武器を見て「馬のように白い骨だ」と独り言をいう。
夢の中でその声をしっかりと自分で聞いたそうである。
この夢は何を意味するというのか。
この夢はチベット仏教のチョエニ・バルドゥに相当する意識である。
恐ろしいマッコウクジラの骨は現出した不老不死の神々の近寄りがたい尊厳であり、それに対する「馬のように白い骨だ」という無駄な呟きは神々から下された死すべき人間への死刑宣告なのである。
神々の偉大な輝きの前で卑しい土の人間はみじめに原子まで解体する。
葉緑素と真紅の花
するうち頭蓋骨の牙の間から熱風が吹き証人を掠めたかと思うと、白い頭蓋骨全体が野原のように緑色に変わる。そして恐ろしかった牙という牙からは真っ赤な花の芽が吹き出で、証人の前で優美に咲き誇った。
あたかも死からの生の復活のような演出、恐怖から愛への気まぐれな移行を目にして証人は「パンの神が復活しようとしている」と考えた。
墓穴の彼方から復活を果たしたキリストのように、ただ噂でしか知り得なかった不老不死の言い伝えが姿を現したかのようだったという。
まとめ〜証人の気付き
最終的に夢を見ていたフェレオル・ビュックは次のように悟りを得る。すなわち古代ローマ人は微笑できなかったであろうと。
subridereはすでに退廃した末期ラテン語形式のものであり、全盛期の古代ローマには微笑するという言葉自体が存在しなかった。
つまり笑うか真剣な顔しかできなかったということである。微笑むとはその間の中途半端な表情であり、優しさとか思いやりとか冗談でクスっとなったりとか、物柔らかい意味合いがある。
またマッコウクジラの牙を見て「馬のように白い」と言った証人は明らかにムダ口を叩いている。
ムダ口=おしゃべり、おしゃべり=微笑、微笑=死刑なのである。