アートとしての聖書
聖書という書物は非常に分厚くてひとまとめで製本されるとページ数が多くなり、かなり大きい文字のものでないと細かくて読みづらい。宗教としてではなく文学もしくは芸術作品として捉えるとその面白さがわかる。読み物としての聖書、芸術家にインスピレーションを与えるものとしての価値について考えたい。
聖書という訳し方は偏見を与えやすいのでバイブルと呼ぶことにする。このブログ記事が宗教論でも勧誘でもないと理解いただけるように。
英語で読もう
まずバイブルは最低でも英語で読むべきだ。ふりがなだらけの日本語の訳は宗教じみており、書物としての面白さが歪められている。日本語特有の敬語の連発は、卑屈に天国へ入ろうとしているおべっか使いを連想させる。会社の上司や役人に御用を伺うように神に対しても己の罪を認めずごまかして天国にあわよくば盗み入ろうとしてるかのよう、そんな印象を受ける。
もし神がいるとしたらごまかしや嘘は通じないだろう。であるから己の悪を認め、勇んで地獄へ落ちるくらいの気概が欲しい。バイブルは救われるための書物ではない。それは文字であり言葉である。印刷された活字の列である。だがバイブルは書物として見られるならば、何千年の歴史を通して伝えられてきた傑作である。
出エジプト記
Exodusはモーセ5書と呼ばれるものの一つで、バイブルのGenesisの次、Old Testamentの2番目に載っている。バイブルは各章各節が互いにあちらこちらリンクしており、その内容と数は膨大極まるからたいていのテキストには番号や注釈がついている。
Exodusはモーゼとエジプトの王ファラオの物語であり、映画化もされている。とにかく内容がすさまじく幻想的でエキサイティングである。
口にするのも憚れるが、Lordと呼ばれる神はヘブライ語でヤハウェまたはヤーヴェらしい。ギリシャ神話のような神とは異なり、バイブルの神は言葉で語りかけるだけではっきりとした姿形はない。ヘルメス・トリスメギストスの聖なる書によれば造物主は不明なものであり、不明であるがゆえに最も明瞭なのだと説かれている。
燃える茂みの中から呼ぶ声
そのLordがエジプトで奴隷扱いをされているイスラエルの民の呻きを聞き、ついに彼らを救うべくモーゼの元に現れる。Lordは燃える茂みの中から語りかけた。
「モーゼ、モーゼ」
モーゼは答えた。
「ここにいます」
またモーゼはもし民がモーゼに神が現れたことを信じないで、その名前を言ってみろと聞いてきたら、なんと答えるべきかとLordに尋ねた。
"I am WHO I AM "であるとLordは答えた。