YHWHとLordの違いとは?― テトラグラマトンと聖なる名前の力を読み解く

疑似学術地帯

聖なる神名YHWH(ヤハウェ)と「主」――その意味と力

YHWH(יהוה, ヤハウェ)とは、ヘブライ語聖書に登場する唯一神の固有名です。アルファベット4文字で表記されるため「テトラグラマトン(Tetragrammaton)=四文字神名」とも呼ばれますchristiancourier.com。この名前はヘブライ語本文中になんと約6,823回も記されておりchristiancourier.com、神がモーセに「これはとこしえにわたしの名」と啓示した出エジプト記3章15節にも現れます。しかし興味深いことに、この神聖な名は古代から声に出して読まれることを避けられてきました。代わりに「アドナイ」(אדוני, 主)などと置き換えて読まれ、英語訳聖書でも YHWH の箇所は “LORD” (全て大文字)と印刷されます。一方、単に「主」を意味するアドナイが使われる箇所は “Lord” (頭文字のみ大文字)と区別されますchristiancourier.com。日本語訳聖書では通常どちらも「主」と訳されてしまうため判別が難しいですが、英語圏の訳ではそのような表記上の工夫で神の固有名と尊称を区別しているのです。

YHWHという名の由来と意味

ヘブライ語の YHWH は子音文字4つ(ヨッド־ヘー־ヴァヴ־ヘー)から成り、本来母音が付されていないため、正確な発音は古代以来伝わっていません。しかし多くの学者は**「ヤハウェ」(Yahweh)** が元の発音であった可能性が高いと考えていますhurqalya.ucmerced.educhristiancourier.com。この名前はヘブライ語の動詞「在る」を意味する語根 h-w-y(あるいは h-w-h)に由来すると考えられ、神が「わたしは有る(存在する)」(I AM)お方であることを示唆していますchristiancourier.com。実際、モーセへの啓示で神は「エヒェー・アシェル・エヒェー(私は[ある]という者)」と名乗りhurqalya.ucmerced.edu、「エヒェー(私はある)があなたを遣わした」と告げた上で、「イスラエルの神 ヤハウェ があなたを遣わした。これが永遠にわたしの名である」hurqalya.ucmerced.eduと宣言しました。このやり取りはYHWHという名の意味を「在りて在る者」「自存者」と解釈させる伝統的根拠となっています。言い換えれば、YHWH とは**「永遠に自ら存在する神」を示す名なのですchristiancourier.com。またこの名は、創造主がイスラエルと特別な契約関係に立つ人格的な神**であることも強調していますchristiancourier.com

「主」(アドナイ)と神名の置き換え

古代イスラエルでは、この神の名 YHWH をむやみに口にしてはならないという戒め(十戒の第三戒に相当)を厳格に守りましたhurqalya.ucmerced.edu。紀元前数世紀ごろから、特に第二神殿時代以降、ユダヤ教の正統的な伝統では YHWH の名はあまりに聖なるため公の場で発音しない 習慣が定着しますhurqalya.ucmerced.edu。ユダヤ人たちは聖書朗読や祈りにおいて、この**「語るには聖すぎる名」に差し掛かった際には「アドナイ(主)」と読み替えたのですbible-researcher.com。この伝統はイエス時代のユダヤ人や初期キリスト教徒にも受け継がれ、イエスの弟子たちが書いたギリシア語の新約聖書でも、旧約からの引用箇所で YHWH にあたる部分はギリシア語で「キュリオス(主)」と書かれていますbible-researcher.com。こうした置換の慣習は、現在の各国語訳聖書にも反映されています。例えば英語の多くの聖書で YHWH に “LORD” を充てるのは、このユダヤ教由来の遠慮と敬意**に則ったものなのですbible-researcher.comchristiancourier.com

なぜここまで神名の直接の発声が忌避されたのでしょうか。bible-researcher.comによれば、それは単なる迷信的タブーではなく「健全な畏敬の念」から生じた習慣だといいます。人は権威ある存在を呼ぶとき直接の名よりも敬称を用いるものですが、神に対してもなおさらみだりに名を口にしない謙遜が求められたのですbible-researcher.com。また、捕囚期以降のユダヤ人は異教の民と雑居せざるを得ず、もし彼らがイスラエルの神名YHWHを知れば、それをあざけり冒涜する恐れがありましたbible-researcher.comあえて神名を隠すことで、異邦人による冒涜から守ろうとした面もあったのですbible-researcher.com。逆に一部には、神の名を唱えて魔術的に神を操ろうとする者もいましたbible-researcher.com。古代世界では神々の名を呪文に用いることが一般的であったため、イスラエルの神名も悪用されかねませんでしたbible-researcher.com。このように神名乱用の危険を避け、さらに「主の名をみだりに唱えてはならない」という戒めhurqalya.ucmerced.eduを徹底するために、発声自体を控える方策が取られたのですbible-researcher.com

こうした背景から、ユダヤ教では神名を直接発音するのは大祭司だけに限られていました。古代の記録によれば、エルサレム神殿において大祭司が年に一度、贖罪日(ヨム・キプル)の儀式の中で至聖所にてこの聖名を唱えたのみだといいますhurqalya.ucmerced.edu。それ以外の場では一般の祭司ですら口にせず、人々は「アドナイ(主)」やハシェム(「御名」の意)といった別名で神を呼びました。ヘブライ語聖書本文に後世付された母音記号でも、יהוהには本来の母音を記さず「アドナイ」と読むための印(別の母音符号)が付されていますbible-researcher.com。この徹底ぶりからも、ユダヤ人にとって神の名は畏怖すべき特別なものであったことがわかりますhurqalya.ucmerced.edu

翻訳上の処置と「Jehovah」の誕生

bible-researcher.com前述のとおり、70人訳聖書(紀元前3世紀頃に作られたヘブライ語聖書のギリシア語訳)はユダヤ人社会の習慣に倣い、ヘブライ語の YHWH を一貫して 「キュリオス」(主) と訳しました。ラテン語聖書(ウルガタ)でも Dominus(主)と訳されておりbible-researcher.com、中世ヨーロッパのキリスト教社会でも YHWH の名そのものは日常的に発音・表記されなくなっていきます。その結果、多くの近代語訳聖書(英語含む)も、伝統に従って YHWH は「主」と訳すのが一般的となりましたbible-researcher.com。これは聖書翻訳上の一種の慣例・伝統ですが、その反面、原文で神の固有名が使われている事実が読者に伝わりづらい欠点もありますbible-researcher.com

一方で、16世紀以降になると 「エホバ (Jehovah)」 という表記が西欧で広まりました。これはヘブライ語聖書本文中の四文字神名 יהוה(YHWH) に、本来とは異なる母音記号が付されていたことから生じた誤読に由来します。中世のマソラ学者たちは先述の通り、YHWHという文字列に「アドナイ(Adonai)」の母音をあてがって注音していましたbible-researcher.com。これは読経者に「ここは『アドナイ』と読むべし」と注意喚起するためでしたが、後世になってヘブライ語を知らない人々がこの綴りをそのまま発音すると「YeHoWaH(イェホワ)」「JeHoVa(h)(ジェホバ)」のように読めてしまったのですbible-researcher.com。こうしてラテン語風につづられた “Jehovah” が誕生し、宗教改革期には英語圏でも用いられるようになりました。特にウィリアム・ティンダルが旧約聖書翻訳(1530年出版)で Jehovah を採用して以降、この表記が定着したと言われますbiblicalarchaeology.org。ただし学術的には Jehovah は本来の発音を反映したものではなく、誤った綴りであることが19世紀以降明らかになっていますbible-researcher.com。現在の聖書学者の間では前述の Yahweh(ヤハウェ) が最も有力な復元形と考えられていますhurqalya.ucmerced.edu。とはいえ一般の信仰生活では依然として伝統的な「主」という置換えが根強く、キリスト教の礼拝や祈祷でもヤハウェという音を直接用いることは稀ですbible-researcher.com。事実、カトリック教会では近年「典礼において『ヤハウェ』という聖名を発音しないように」との通達が出されbible-researcher.com、賛美歌などからも YHWH の直接の発声が避けられています。こうした背景には、長い伝統を尊重すると共に、「新約でイエスに与えられた**『すべての名にまさる名』とは主(キュリオス)の称号であり、旧約のYHWHと同じ称号をキリストに用いること自体がキリストの神性を示す」(フィリピ2:9-11bible-researcher.com)という神学的配慮があると解説されていますbible-researcher.com。すなわちキリスト教では、イエスを指して「主よ」と呼ぶ度に、暗に旧約の主なる神YHWHをも仰いでいることになるため、あえて「主」(Lord)** に留めておく意義があるというのですbible-researcher.com

以上のように、YHWHという神名は翻訳上も扱いが難しい特殊な名前でした。20世紀に入ると英語聖書でもこの問題に向き合う動きがあり、一時期 “Yahweh” を用いた訳や “Jehovah” に統一した版も出ましたがbible-researcher.combible-researcher.com、結局現在では伝統に従い “LORD” とする表記法が踏襲されていますbible-researcher.combible-researcher.com。例えば、英語訳聖書ASV(1901年版)は旧約の神名をすべて “Jehovah” と表記するという大胆な試みをしましたが、読者には不評で、後継のRSVやNASBでは再び “Lord” 表記に戻されましたbible-researcher.combible-researcher.com。一方、「エホバの証人」など特定の教派では依然「エホバ」という神名表現に固執し、自前の聖書訳でも Jehovah を用いていますbible-researcher.com。これはイエス(主)と父なる神を区別したいとの神学的立場によるものですがbible-researcher.com、歴史的・言語学的には特殊な用法と言えるでしょう。多くの伝統的教派にとって大切なのは、音写された名称そのものよりも、その名が指し示す神の実在だからです。「主なる神」と敢えて尊称で呼び続ける姿勢にも、そうした神学的・霊的な慎みが表れていると言えるでしょう。

「聖名の力」と神学・神秘思想

YHWH(ヤハウェ)の名は、このように畏れ多いものとして秘されましたが、同時に特別な力が宿る聖なる名前とも見なされてきました。古代の思想では、ある存在の「名前」を知ることはその本質や力にアクセスすることだと考えられていましたhurqalya.ucmerced.edu。実際、旧約聖書でも「主の御名を呼び求める者は救われる」(ヨエル3:5他)という表現があり、「御名」を呼ぶこと自体が信仰行為・礼拝行為とみなされています。また古代中近東の宗教では、神や霊的存在の名を唱えて超自然的な力を引き出す試みが広く行われていましたbible-researcher.com。ユダヤ教も例外ではなく、後代になるとこの聖なる四文字名に神秘的な力を認める思想が現れます。例えばユダヤ教の神秘主義(カバラ)では、YHWHは発音すれば天地を動かすほどの力ある「完全な御名」であると考えられましたhurqalya.ucmerced.edu。古代の文献には「この名が発せられると大地はその基から揺らぐ」hurqalya.ucmerced.eduなどと讃えられており、預言者や敬虔な人物が神の名の力によって奇跡を行ったという伝承もありますhurqalya.ucmerced.edu。実際、1~3世紀頃の魔術的護符にはヘブライ語の神名 YHWH が他の聖名(アドナイや天使名など)とともに記され、万物を支配する最強の名として崇められたりもしましたhurqalya.ucmerced.edu。同様にユダヤ教ラビ文献や神秘文書には、神名そのものを増幅・変形させた種々の「秘められた名」(12文字の名、42文字の名、72文字の名等)が語られ、神の力の根源として探求されていますhurqalya.ucmerced.edu。これらはいずれも YHWH という究極の御名が持つ力を称揚し、人知を超えた神秘として受けとめる態度の表れと言えるでしょう。

しかし他方で、預言者ホセアは「その名をバアル(主)と呼ぶことはやめよ」(ホセア2:16-17)と述べ、形式化した呼称に頼る虚しさを預言しています。同様にキリスト教では、神の名を特定の音で呼ぶこと自体に魔術的効力があるのではなく、その名が示す人格(神ご自身)との関係性こそが重要だと理解されます。新約聖書はイエスの名にこそ救いの力があると宣言し(使徒4:12)、フィリピ書2章9節ではイエスに「すべての名にまさる名」を賜ったと語ります。それは旧約の神名YHWHが持つ権威をイエスに重ねたものであり、イエスを「主」と告白することがそのまま唯一神を崇めることに通じると示唆されますbible-researcher.com。このように**「名」は単なる記号ではなく、その背後にある存在の力そのもの**を指すのだという理解が、一貫して聖書の伝統に流れているのです。



上: フェニキア文字で刻まれた「יהוה」(紀元前9世紀ごろ)。中: 古代ヘブライ文字(旧約聖書の初期写本に用いられた書体)で記された YHWH。下: 現代ヘブライ文字で表記された YHWH(母音記号なし)。いずれも 右から左 に読まれるbiblicalarchaeology.org。この「四つの子音字」はユダヤ教・キリスト教において万物の創造主である神の固有名を示すために用いられてきた。

結びに

聖なる名 YHWH(ヤハウェ)は、聖書の神を指し示す唯一無二の名前です。その語源が示す「在りて在る者」という意味のとおり、始めも終わりもない自存の神性を表す一方、ヘブライの民にとっては契約と救いの神としての人格的呼び名でもありました。しかしその神聖さゆえの畏敬から、長きにわたり直接口に出すことは避けられ、「主」との置き換えによって崇められてきました。翻訳上は一見地味な工夫に見えるこの伝統も、神への深い敬意に根ざしたものです。また名前それ自体に世界を動かす力があると信じられるほど、人々は神名に特別な重みを感じ取ってきました。現代において私たちが祈りや賛美で「主よ」と呼ぶとき、その背後にはヤハウェという神の威光が脈打っています。たとえ発音や表記が時代や文脈で変わろうとも、「聖名」を通して絶対なる神と繋がる人間の思いは、時を超えて不変なのかもしれません。

参考文献・出典: 聖書(出エジプト記3章14–15節, フィリピ2章9–11節 他)、Marlowe, Michael. “The Translation of the Tetragrammaton”bible-researcher.combible-researcher.com; Jackson, Wayne. “LORD and Lord: What’s the Difference?”christiancourier.comchristiancourier.comchristiancourier.com; Hurqalya Publications「神の最大の御名」hurqalya.ucmerced.eduhurqalya.ucmerced.edu; 他.

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