「砂漠の聖ヨハネ」とは誰か──荒野の預言者と“聖ヨハネ”たちの系譜をたどる

疑似学術地帯

聖ヨハネの名称と背景

「聖ヨハネ」の呼称(英語・フランス語): 日本語の「聖ヨハネ」は、英語では Saint John(セント・ジョン)、フランス語では Saint Jean(サン・ジャン) と表現されます。いずれも「聖なるヨハネ」という意味で、キリスト教における数多くの聖人ヨハネを指しうる名前です。英語名 John、フランス語名 Jean は共にラテン語の Ioannes(ギリシャ語 Iōánnēs、ヘブライ語 ヨーハーナーン「ヤハウェ(主)は恵み深い」の意)に由来していますja.wikipedia.orgja.wikipedia.org。したがってSaint John/Jeanという呼称自体は特定の一人ではなく、多くの聖人に付けられてきた伝統的な名称です(例えば洗礼者ヨハネ、使徒ヨハネなど)stjohnspitalgate.com

歴史上の聖ヨハネの数: 「聖ヨハネ」と呼ばれる人物は非常に多数存在します。例えば、Wikipedia上で「聖ヨハネ」に該当する聖人は61人以上がリストされており、カトリックのオンライン聖人索引では126人以上もの聖ヨハネが掲載されていますstjohnspitalgate.com。これは、キリスト教史において「ヨハネ」という名前の聖人がいかに多いかを示しています。以下では、その中でも特に重要な聖ヨハネたちを年代順に概観します。

「砂漠の聖ヨハネ」とは誰か?

荒野で叫ぶ声=洗礼者ヨハネ: 「砂漠(荒野)の聖ヨハネ」という表現は、一般的には**洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)**のことを指すと考えられますja.wikipedia.org。新約聖書において洗礼者ヨハネは「荒野で叫ぶ者の声」と預言された人物であり(イザヤ書40:3の成就)ja.wikipedia.org、実際に「ヨルダン川のほとりの荒野」で活動してイエス・キリストに洗礼を授けた預言者ですja.wikipedia.org。彼はラクダの毛衣をまとい荒野でイナゴと野蜜を食べながら禁欲的な生活を送り、人々に悔い改めを説き洗礼を授けましたja.wikipedia.org。その厳しい荒野での修行生活ゆえに、キリスト教伝統ではヨハネに「荒野(砂漠)の聖ヨハネ」というイメージが結びついています。

荒野のヨハネの意義: 洗礼者ヨハネはイエスに先立つ**「先駆者」であり、彼自身は旧約最後の預言者として「メシアの道備え」をする役割を果たしましたaleteia.orgaleteia.org。彼の荒野での叫び(宣教)は、人々に悔い改めを促し、やがて来るキリストを迎える準備を象徴していますja.wikipedia.org。したがって「砂漠(荒野)の聖ヨハネ」は、単に地理的な荒野にいた聖人というだけでなく、霊的荒野で神の道を整えた預言者として理解されます。なお他にも「荒野の聖ヨハネ」と呼びうる人物として、4世紀エジプトの隠者エジプトの聖ヨハネ**(後述)がいますが、一般にはまず洗礼者ヨハネを指すケースが多いでしょう。

聖書時代の「荒野」と現代の「砂漠」

ヘブライ語における「荒野」の意味: イザヤ書など聖書に出てくる「荒野」(ヘブライ語 ミドバル מִדְבָּר)は、現代で言う「砂漠(さばく)」と必ずしも同一ではありません。ヘブライ語の ミドバル は本来「人が住まない土地」「放牧地」を指し、確かに乾燥した不毛の地も含みますが、完全に砂だけの砂漠地帯とは限らない概念ですransilberman.blogransilberman.blog。聖書にはミドバルが必ずしも乾燥していない例もあり、例えば創世記37:22ではヨセフが「荒野 (midbar) の穴」に投げ込まれますが、その舞台ドタンの谷は実際には肥沃な土地ですransilberman.blog。つまり聖書時代の「荒野」とは、「人里離れた未開の地」「作物を耕作していない地帯」を広く指す言葉でしたransilberman.blog

ギリシャ語と英語訳: 聖書ヘブライ語の ミドバル は、七十人訳聖書(ギリシャ語)で エレーモス(ἐρήμος, エレモス)と訳されました。エレーモスも本来「人のいない場所、荒れた地」を意味し、英語ではこれを wilderness(荒野) あるいは desert(デザート) と訳します。英語 desert は現在では「砂漠」の意味が強いですが、語源を辿るとラテン語 desertus(捨てられた、無人の)に由来し、元々は「人がいない荒れ地」を指しましたmerriam-webster.com。実際、17世紀の欽定訳聖書(KJV)では midbar を “desert” と訳していますが、これは現代英語で言うサハラ砂漠のような砂丘地帯というより「人の住まない荒地」を意味していましたmerriam-webster.com。一方で同じ midbar を指す言葉として英語には wilderness(荒れ地、原野)もあり、現在の聖書訳では “wilderness” を使うことが多いです。つまり英語では**“wilderness”**が聖書的な「荒野」に近いニュアンスであり、“desert” は古風な用法では荒野を意味しつつも、現代では乾燥砂漠のイメージが強くなっています。

フランス語における「荒野」の訳語: フランス語でも聖書の「荒野」は通常 désert(デゼール) と訳されます。例えばフランス語ルイ・セゴン訳聖書でイザヤ40:3は「声が荒野で叫ぶ: 『主の道を整えよ、われらの神のために砂漠に大路をまっすぐにせよ』」と désert の語が用いられています(Une voix crie dans le désert…)。フランス語 désert も本来はラテン語 desertus に由来し、「人に捨てられた(場所)」という意味合いを持つ言葉ですgoong.com。したがってフランス語でも désert は「砂漠」という意味のほか「人影まばらな寂しい場所」というニュアンスを含みます(例: île déserte は「無人島」)。このように、イザヤの時代の「荒野(midbar)」は広い概念で、現代語に翻訳する際には一義的に「砂漠」と理解せず、文脈に応じて「荒れ地」「人跡未踏の地」といったニュアンスを考慮する必要がありますransilberman.blogransilberman.blog

まとめると、聖書の「荒野」は必ずしも現代的な砂漠(デザート)を指すわけではなく、「人里離れた荒れ地」「乾燥した放牧地」を含む広い概念です。しかしキリスト教伝統では、荒野での修行や黙想が重視されたため、荒野=砂漠的な霊修の場というイメージが定着しました。洗礼者ヨハネもその象徴的人物であり、「砂漠(荒野)の聖ヨハネ」と呼ばれるゆえんも、彼が物理的にも霊的にも荒野に身を置いた聖人だからです。

歴史上の主要な「聖ヨハネ」たち(年代順)

以下に、歴史上特に重要な「聖ヨハネ」たちを古い順に挙げます(※括弧内は大まかな生没年や活動年代):

  1. 洗礼者ヨハネ(St. John the Baptist, 1世紀前半) – イエス・キリストに先立ちユダヤの荒野で悔い改めと洗礼を説いた預言者。ヨルダン川でイエスに洗礼を施し、ヘロデ・アンティパス王により斬首され殉教しましたaleteia.org。紀元30年前後に殺害されたとされ、キリスト教で最初期の殉教者の一人ですaleteia.org。彼は「荒野で叫ぶ声」として旧約預言を体現し、新約に橋渡しする重要人物です。

  2. 使徒ヨハネ(St. John the Apostle, 1世紀) – イエスの十二使徒の一人で、「主に愛された弟子」とも言われます。ガリラヤの漁師出身で、兄弟のヤコブと共に最年少の弟子でした。伝承によれば彼は唯一殉教せずに長寿を全うし、エフェソスやパトモス島で晩年を過ごし紀元100年頃に没したとされますstjohnspitalgate.com。彼は新約聖書中の『ヨハネによる福音書』『ヨハネの手紙一二三』『ヨハネの黙示録』の著者(ヨハネ福音記者)と伝統的にみなされ、初代教会で重要な地位を占める聖人ですstjohnspitalgate.com

  3. エジプトの聖ヨハネ(St. John of Egypt, 304–394) – 4世紀エジプトの有名な隠者で、「ジョン隠者」「ジョン錨士(アンカーライト)」とも呼ばれます。20歳頃から修道生活に入り、エジプト・ニトリア砂漠で壁に囲まれた狭い独居房に76年間籠もって隠遁生活を送りましたcatholic.org。窓越しに人々に説教し、皇帝テオドシウス1世の戦勝を予言するなど預言的賜物でも知られますcatholic.org394年に死去し、初期砂漠修道聖者(デザート・ファーザー)の代表的人物ですcatholic.org

  4. 聖ヨハネ・クリュソストモス(金口のヨハネ, St. John Chrysostom, 約349–407) – 4世紀末〜5世紀初頭のコンスタンティノープル大主教で、偉大な教父の一人です。「クリュソストモス」はギリシア語で「金の口」を意味し、その名の通り卓越した雄弁家・説教者でしたallsaintstories.com。聖書講解と社会的正義を説く説教で名高く、聖体礼儀の編纂者でもありますja.wikipedia.org。権力者への批判を恐れず教会改革を断行したため流罪にも遭いましたが、没後に教会博士に列せられていますallsaintstories.com

  5. 聖ヨハネ・カッシアヌス(St. John Cassian, 約360–435) – スキタイ(現在のルーマニア・ブルガリア一帯)出身の修道士・神学者。東方の修道制度と霊性を西方に紹介した橋渡し的存在ですonline-latin-dictionary.com。エジプトで砂漠修道士たちに学んだ後、マルセイユに男女の修道院(聖ヴィクトル修道院)を創設し、西欧修道制に影響を与えましたonline-latin-dictionary.comonline-latin-dictionary.com。大著『修道院の制度』『霊的会話』を著し、後の聖ベネディクトゥスも彼の著作を読むことを修道士に勧めたほどですonline-latin-dictionary.com

  6. 聖ヨハネ・サイレント(沈黙者ヨハネ, St. John the Silent, 454–558) – アルメニア出身の聖人で、若くして司教となるも職を棄ててエルサレム近郊の聖サバ修道院で隠遁生活を送りました。そのあまりの静寂と隠遁ぶりから「沈黙者」の異名があります。104歳で558年に世を去るまで実に76年間もの隠修生活を続け、祈りと沈黙に徹したと言われますen.wikipedia.org。東西教会双方で崇敬され、記憶日(祝日)は東西で異なりますが「霊的沈黙」の模範として知られていますen.wikipedia.orgen.wikipedia.org

  7. 聖ヨハネ・エレモシナリオ(施し者ヨハネ, St. John the Almsgiver, 550年頃–616/620) – 7世紀初頭、アレクサンドリア総主教を務めたキプロス出身の聖人です。「エレモシナリオ」は「施しをする人」の意で、その名の通り貧者救済と慈善に生涯を捧げました。在任中に何千人もの貧者の名簿を作り自ら「彼らは我が主人」と呼んで援助した逸話が伝わりますen.wikipedia.orgen.wikipedia.org。ペルシア軍の侵攻に際して故郷キプロスへ逃れ616年から620年頃の間に死去しましたen.wikipedia.org。彼の遺体は後にコンスタンティノープルやヴェネツィアを経て現在ブラチスラヴァで安置されていますen.wikipedia.org

  8. 聖ヨハネ・ダマスキノス(ダマスコの聖ヨハネ, St. John of Damascus, 約676–749) – 8世紀のシリア出身の神学者・聖職者。**「東方教会最後の教父」とも称され、ビザンティン帝国における聖像破壊論争の時代にあって聖像擁護(イコン崇敬の弁証)**を行ったことで知られますacademia.edu。主要著作『正統信仰の宣究』は当時台頭しつつあったイスラム教神学への対抗も意識した神学大全であり、東西双方で後世に影響を与えましたacademia.edu。彼は聖歌作者としても著名で、聖像崇敬擁護の功績により後に教会博士にも列せられています。

  9. 聖ヨハネ・リラ(リラのイワン, St. John of Rila, 876–946) – ブルガリアで最も崇敬される聖人で、同国初の隠修士とされますpantheon.world。若くして世俗を離れリラ山中の洞窟で修行生活を始め、奇跡を行う聖者として名声が広がりましたpantheon.world。彼の弟子たちはやがてリラ修道院を創建し、これはブルガリア正教会最大の修道院となっています。ブルガリアの守護聖人ともみなされ、生前から民衆の尊敬を集めたため生きながら聖人と呼ばれた逸話もありますpantheon.world

  10. 聖ヨハネ・マタ(St. John of Matha, 1160–1213) – 中世フランスの神学者・司祭で、カトリック修道会「三位一体トリニタリアン」の創立者です。1190年代にローマ教皇インノケンティウスIII世の承認を得て、この新しい托鉢修道会を設立しましたbigccatholics.blogspot.com。トリニタリアン修道会はイスラム圏に囚われたキリスト教徒奴隷の身代金を集め解放することを使命とし、中世ヨーロッパ各地に広がりましたbigccatholics.blogspot.com。マタは1213年にローマで亡くなり(遺骸は後にマドリードへ移送)、17世紀に正式に列聖されていますbigccatholics.blogspot.com

  11. 聖ヨハネ・ネポムク(ネポムクのヨハネ, St. John of Nepomuk, 約1345–1393) – ボヘミア(現在のチェコ)の殉教者で、**「チェコの守護聖人」**の一人です。プラハ大司教区の副司教として国王ヴァーツラフ4世と教会の争いに関与し、1393年に国王の命でヴルタヴァ川に投げ込まれて処刑されましたbritannica.com。後世、王妃の告解の秘密を守って殉教したとの伝説が広まり、1729年にカトリック教会で列聖されていますbritannica.com。プラハのカレル橋に立つ聖ヨハネ像をはじめ、彼の肖像は世界各地のカトリック教会で見られます。

  12. 十字架の聖ヨハネ(St. John of the Cross, 1542–1591) – 16世紀スペインのカトリック神秘家・詩人。カルメル会士の司祭で、聖テレサ(アビラの聖テレサ)とともに修道会改革(いわゆる*「裸足のカルメル会」*設立)に尽力しましたgotquestions.org。彼の著した『霊魂の暗夜』『霊のCantico(霊的Canticle)』などの作品は、キリスト教神秘主義文学の最高峰と評価されますgotquestions.org。十字架のヨハネはスペイン有数の神秘神学者であり、1926年に教会博士の称号が贈られました。彼は信仰生活における「暗夜」を経て神との合一に至る道を説き、現在も多くの霊的指導に影響を与えていますgotquestions.org

(この他にも、聖ヨハネの名を持つ著名な人物として、ダマスコの聖ヨハネ(前出)、ネポムクの聖ヨハネ(前出)、16世紀の十字架の聖ヨハネ(前出)の他、15世紀のカプストラーノの聖ヨハネ、19世紀の英聖公会から改宗した聖ジョン・ヘンリー・ニューマン(教会博士)、そして教皇としてのヨハネ23世・ヨハネ・パウロ2世など数多くが存在します。名前が同じ聖人が多いため、各聖ヨハネには土地名や称号を付して区別する習慣がありますstjohnspitalgate.com。)

参考文献(Sources):

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