【ダイエット】カロリー計算に潜むツラさ〜そのメリットとデメリット
仕事が忙しくなると、どうしてもブログが疎かになる。書くのが面倒くさくなるのも、まあ仕方がない。作家という生き物は、暇があってこそ成立する生き物である。余裕がないと、面白い記事も浮かんでこない。
そんな折にふと思い立ったのが、現在継続中の「カロリー計算」生活について。ここにその実情を綴っておこうと思う。
食べる喜びとその変化
以前の記事では、一ヶ月で10キロ減量に成功した際のことや、中年にして再び「カロリー計算」生活を復活させた旨を紹介した。
ただ、カロリーを管理する生活を続けていると、“食べる喜び”がじわじわと減退していくのが分かる。欲望のままに食べるという行為が人生から失われると、途端につまらなくなる。とはいえ、そこにこそ「カロリー計算」の功罪があるとも言える。
●参考記事:【ダイエット】1ヶ月で10キロ痩せた方法とリバウンド対策
節制のメリット
まず、食を制限すると、四六時中“何を食べよう”という思考から解放される。朝起きた瞬間から食欲に支配されていた日々から脱し、頭が少しクリアになる。
胃腸の状態も安定する。以前は脂っこいラーメンばかり食べていて下痢続きだったが、節制を始めてからは驚くほど改善された。
私の場合、基礎代謝は約1634kcal。これを基準に食事量を調整する。とはいえ、運動などでの消費もあるため、最大でも2250kcalまでは許容範囲とした。それを超えた日は“発狂”と呼ぶことにした。
節制のデメリット
当然ながら、1634kcalに抑えたところで実際の活動量はもっと多く、空腹感は残る。プラトンが言ったように、快楽と苦痛は表裏一体である。
特にラーメン好きには地獄である。二郎系、家系、チャーシュー味噌、どれも一杯で2000kcal近くなる。牛丼もアウト、カップ焼きそばも地雷。大好物を封印するのは生きる楽しみの喪失につながる。
ブログのラーメンレビューも当然ながら減る。結果としてアクセス数も落ちる(笑)。
●関連記事:宮城県北ラーメンレビューまとめ
飲み会という例外
以前は飲み会のカロリーも律儀に計算していたが、それでは雰囲気が壊れる。現在は“飲み会=解放日”としてノーカウントにしている。ただし、摂取カロリーは記録だけは残す。認識と反省こそが改善の第一歩だからである。
まとめと教訓
「発狂」は主に夜に起きる。日中の制限が効きすぎて、寝る前に反動で食べてしまう。人間の頭が数字でコントロールしようとしても、胃袋という獣に敗れることがある。
理性vs本能――この戦いを制するには時間が必要である。焦らず、無理せず、少しずつ標準体重に近づいていけばいい。リバウンドの恐怖とも折り合いながら。
●関連:【太りやすい体質】と私の観察
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