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【エドガー・アラン・ポー】「催眠術の啓示」感想・レビュー〜隠れた名作、哲学的作品

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ボードレールもその文学批評で、「ユリイカ」とともに力を込めて推すポーの哲学的短編「催眠術の啓示」について、思うところを書く。

科学

登場人物は二人で、一方の患者に一方が催眠術の治療を施す対話形式である。内容は形而上学的だが、反対に物質的である。これはポーが物理学が好きだったためと思われる。

最近私はヨハネ黙示録の神の怒りの七つの杯が実際にこの地球で起こり得るのか、疑問に思い色々調べた。その中で、人類の発展させた科学や数学など、あらゆる近代的知識がとても凄いものなのだということを知った。

つまり科学はそのような災いをこの宇宙が内包していることを知った。そのようなことを明らかにする物理学の偉大さを私は感じた。そんな中である概念が私の中に芽生えた。その概念はどこかで聞いたことのあるものだった。「そうだ、エドガー・ポーがたしかそのようなことを書いていたな」と私は思った。

「催眠術の啓示」にはそれに似たことが書いてあったので、改めてこの詩人の頭脳の鋭さに驚嘆した。つまりポーによれば、神は物質である。霊は存在しない、のである。

無神論と勘違いされないように。また霊について言われるとき、これを「想像上のもの」と置き換えてもらうとわかりやすい。想像上のものは存在しない。そしてポーは私たちが霊という言葉を使う時、これは想像上のものを指している、と言いたいのだ。

例えば風は大昔には霊だった。デカルトがこの迷信を吹き払っても、原子の核と核の間に働く力は霊だったろうし、電気も、磁力もまた霊だったはず。

それが物理学の公式によって明らかにされて行くにつれて、霊は科学に変わる。そのようにもし科学が果てしなく突き進むことが許されたならば、神にも到達するであろう。神は物質界の延長上にいる。

想像

想像上のもの・空想されたものは存在しないので、存在する物質を動かす力はない。であるから今科学は素粒子とかあたりまで突き進んでいるようだから、その先にあるものが何であるにせよ、想像上のものではなく科学的な力である。それが霊である。わからないものは霊だから。

神はこの霊の彼方に有る、万物の始め、根源である。それは科学的・物質的な存在である。想像上の存在ではない。そして物質は感覚されるが、存在しないものは感覚されない。従って神は感覚されるであろう。

電磁気力

「神通力」は「神の人」の体に働いている電磁気力である。体は細胞から細胞は原子から出来ているからだ。神に逆らう人の体にも電磁気力はもちろん働いている。しかし「神の人」の体の電磁気力は地球の電磁気力と同じ向きであるのに対し、神に逆らう人の体の電磁気力は向きが逆である。

互いに向きが逆なのでNとN、SとSが激しく反発する。しかし神に逆らう人が75億人いて、一人の「神の人」に対抗しようとも勝てない。「神の人」の電磁気力は地球のと同期しているためである。モーゼの「出エジプト記」はこのことを歌ったのである。

またイエスが「信じるならば山をも動かすことができる」と言っていたのは、この電磁気力のことだった。この力はエベレストどころか地球すら持ち上げる、とファインマンは物理学の教科書『電磁気学』で書いている。

非物質

大体言いたいことは言い終わった。神や天使の守護があるにせよ、もしそれが想像したものでしかなかったなら、そんなものは当てにならない。死後の世界があったとしても、それが空想の産物のようなものだったなら、恐れるに足りない。

「非物質的なものなど存在しない。それはただの言葉だ」ポーは催眠術の患者にこう言わせている。もし彼に太陽の表面や、大気圏から撮影した地球のオーロラの映像を見せたならこう言うだろう「ほら、やっぱり私の書いた通りだろう?」

「催眠術の啓示」収録⬆️

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