【耳栓】という小さな盾 ― 騒音、音、そして人の心の静けさをめぐって
テレビという日常の波動
若い頃、高円寺北のアパートに暮らしていた。風呂なし、トイレ共同、四畳半。その壁の薄さは、もはや「遮蔽」とは言えなかった。隣室から響くテレビの音、電話の会話、上階からは足音。ギターのコード進行と深夜の笑い声が重なる中、筆者は耳栓を購入した。
寝なければ働けない。働けなければ食べられない。ただそれだけの理由だった。だが当時の目覚まし時計の音は耳栓越しでは心許なく、寝過ごしの不安も付きまとった。若さとは、睡眠との長い距離感でもある。
耳をふさぐという選択
その時手にしたのは、蝋製の耳栓。体温で柔らかくなり、耳に馴染む。今でも売られているが、現在筆者が使っているのは作業用のスポンジタイプ。ワークマンで手に入れたもので、工事現場でも通用するという頼もしさがある。
音とは、空気の振動である。人はこの振動を鼓膜で受け止め、脳が「音」として意味づける。問題は、すべての音が歓迎されるわけではないということだ。ある人にとっての娯楽が、別の人には不快な圧力になる。耳には蓋がない。見たくないものは目を閉じれば避けられるが、聞きたくないものは届いてしまう。
聴覚の「暴力」
音楽や言葉には、情報以上の力がある。ある声が、ある旋律が、心を安らげもすれば、かき乱しもする。筆者は特に、テレビのバラエティ番組に流れる強い口調や騒がしい効果音が苦手だ。意識の流れを断ち切られるような感覚に陥る。
これらは単なる「音」ではない。空間に乱入し、こちらの集中を奪い、心の静けさを押し流していく「干渉」なのだ。だから耳栓は、単に騒音を防ぐ道具ではない。自分の内なる空間を守るための小さな盾なのである。
それでも響く音楽
耳栓をしても、聞きたい音はある。たとえばベートーヴェン。彼は晩年、耳が聞こえなくなっても作曲を続けた。筆者には、それが神の配慮のようにも思える。外界の雑音から切り離され、ただ内側に響く音楽に耳を傾けられたのだから。
今ではその音楽が、遠くアメリカ大陸から、光の速度でインターネットを通じて届く。もしも未来、電気というインフラが失われたら――その時、ベートーヴェンの交響曲も、テレビの雑音も、すべてが消え去るだろう。だがそれは、静けさの回復でもあるのかもしれない。
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