【LIVE】現在進行形の宇宙と古代音楽の記憶
春なのか初夏なのか、季節の境が溶けかかった東北の宵。安ウィスキーを片手に、取り留めもなく流れる思索を記録しておくことにする。内容に期待されると困るので、興味のない方は無駄なデータ通信を節約されたし。
「LIVE」──生きている実感とは何か
「LIVE(ライブ)」とは何か? テレビや配信の生中継、あるいはステージでの演奏や舞台――その“今まさに起きている”出来事に人は「ライブ」という言葉を当てる。
つまり「ライブ」とは、録画ではない、“現在進行形で感覚に直撃するもの”である。若気の至りでイギー・ポップに影響された18歳の自分がカッターで「GOD LIVE」と刻んだ傷は、いまではほとんど見えないが、なぜかこの頃になって不意に“音”が聴こえるような気がしている。
その音とは、宇宙の運行が奏でる調和のようなもの――ヨハネス・ケプラー、ピュタゴラス、プトレマイオスが語った「天球の音楽」に近い何かだ。
古代音楽と哲学の交差点
もちろん、そんな高尚な音を聴き取れる耳など筆者にはない。けれど最近手に取った西洋古典叢書『古代音楽論集』には、アリストクセノスとプトレマイオスによる音楽と宇宙の理論がまとめられており、彼らの思想の痕跡を辿ることが楽しみでもある。
なお、アリストテレスは『天体論』において、「天の音楽など存在しない」とバッサリ切って捨てている。
●関連→ 【アリストテレス】『形而上学』と見えざる宇宙の外郭
縮尺の哲学と”宇宙のライブ”感
『創世記』による宇宙創造は数千年前、現代物理学では数百億年前。だが、“縮尺”という概念を用いれば、時間も空間も相対化される。億年の歴史も、永遠に照らせば一瞬。巨大な天体も、全体の中で見れば点となる。
そう思えば、この宇宙そのものが“LIVE”なのだ。現在進行形で動いているこの世界は、永遠(アイオーン)と生成の中間にある。
運動は時間に、時間は世界に、世界は永遠に、そして永遠は神の中にある。──ヘルメス・トリスメギストスの教え。
まとめ:現在進行形でしか触れられないもの
「ライブ」とは、生でしか感じられない真実の気配。録画も記憶も残らない瞬間に宿る神秘。それは、音楽にも、宇宙にも、自分自身の愚かさの記録にも、どこか通じている。
●参考リンク(傷も人生も含めて) 【包茎手術】という名の通過儀礼
●関連: 【アリストテレス】天動説と宇宙論
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