パンデミック 日常 エッセー

【コロナうつ】長引く自粛の風潮による個人感情の萎縮について感じること

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ラーメン

いつの間にこうなってしまったのか。もともと混雑が嫌いな筆者としてはソーシャル・ディスタンスは有難いが、それでも何かぎこちないというか、東北弁で”いずい”世の中だ。こないだやっと三ヶ月ぶりに行きつけの山岡家泉店で辛味噌ラーメンを食べ、実にうまかったのだが飲食の感想としては「おかしな世の中になったもんだ」だった。

カウンター席はひとつ飛ばし、広いテーブル席に単独客がポツポツと座る。こんなスペースの無駄な座り方、しかも真昼時である。店員さんはお冷のコップをカゴに入れ、一人ずつボトルでその都度取り替えて持ってくる。一人客が出る度に消毒、作業が多いためワンオペのすき家の店員のように小走りしていた。何しろ席はガラガラでも人は待たせてるのだから。

見えない存在

”新しい生活様式”とはいえこんなのは戦後の暮らしにも劣るのではないか。人と人はオンラインを通じて繋がっているが、パソコン・スマホ・インターネット・SNSがなければどうなるのか。開けた席に何かが座っているのか、人と人の空けた空間に何かが割り込んできたのか。

昔のルネサンスの神父さんなら躊躇せず悪魔がこの世に上がってきたのだと言うだろう。ウィルスは人の心にも入り込んでくる、などと報じられているが、実際にそこにウィルスがないに決まってるとしても、一度人の心に食い込んだ体験はもう消えず、世代間で遺伝するのだろうか。

これからの建築

こうなると病院はもちろんだがこれからの飲食店設計の仕方も変えなくてはならないのか?馬鹿げている。店員さんが持ってきてくれる生ビールをテーブルで回す、そんな光景ももう実現しないのか?

ウィルスなんか気にせずに今まで通りやれば良い。大人数で集まってお祭りすれば良い。しかしもう出来るとか出来ないとかでなく人の心が白けてしまったのだ。目出度い席で空気の読めない一人の客が発した何気ない発言が、一同の気分を水をかけたように白けさせるのにも似て。

日曜日

今日日曜日、宮城県では3週間以上も感染者が出ていない。安心していいはずだが、日曜とはいえ買い出しすら行く気にならない。自営業の筆者としては、今まで日曜日だけはのんびり外出しても良い日だったのだが。

買い物という行為はそもそも、現代ではひとつのエンターテイメントだった。たとえ食品日用品でも、どれ買おうかな、と見て回ったりこれ何だろう、とか手に取ったりしてお店を歩き回る。これは触れる楽しみ、見る楽しみでもあった。

そんな楽しみもなくいそいそと必要なものを急いで買って、カゴにどれだけ詰めるかだけを考えて手に取った商品を大量に持って帰る。ああつまらない、これではただの労働、作業である。前述のラーメンも、ただ胃と舌を満足させるための食う作業である。

私たちの未来

まるで社会全体が一人の老婆に老いぼれたかのようだ。これは比喩だが、社会とはそのようなものなのだろうか?生き物、有機体なのか?学者ではない筆者にはわからないので、どなたかわかる方がいたなら教えてもらいたい。

ともかく、昔のような世の中にはもう戻らない。あの世界は帰ってこない。気の毒なのは子供達だ。そこそこ生きた大人たちはまだしも、こんなヘンテコな社会で長い人生生きなければならないのだとすれば。しかし人類に時間は残されていない。

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