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【ベートーベンの生涯】ロマン・ロラン〜学研音楽まんがシリーズ「ベートーベン」と比較

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学研まんが

昭和の子供の頃友達同士で”学研まんが”を貸し借りして読んだものだ。それほどこポピュラーだった。勉強になり面白かった。何冊か所持していたコレクション中伝記物がいくつかあり、エジソンやヘレンケラーなんかも読んだ覚えがある。

よこたとくお画「ベートーベン」はおそらく小学校2年生から3年生にかけて読んだものだろうが、この絵と内容が大人になった今でも強烈な印象で残った。50才ともなってもう一度読んでみたくなりメルカリで購入した。

これ、この絵だ!思わず叫んでしまった。同時にAppleMusicでベートーベンを聴きまくり、ロマン・ロランの「ベートーベンの生涯」も読む。するとこの漫画はあながち根拠のないストーリーでなくて、主にロマン・ロランと重複していることに気付く。

子供の頃「これが偉人という種族なんだ」「これがベートーベンなんだ、芸術とはこういうものなのか」と感嘆した気持ちは、あながち的外れではなかったのである。

以後子供は大人にならされた。大人になった。学研まんが「ベートーベン」はリビドーの奥底に沈んだ。

ロマン・ロラン

ロマン・ロラン「ベートーベンの生涯」について感想を言えば、これは『ビアズレー伝』のような内容盛りだくさんの参考資料ではない。伝記的事実よりも作者のベートーベン崇拝・賛歌の色合いが濃いので、客観的な冷めた事実のみを求めるのなら物足りないだろう。

だが上に述べたようにほぼ学研まんがのストーリーを汲み取れるほどであるから、最小限の情報を得ることは可能。また結構多い原注がそれ自身読み物になっており、ほぼベートーベンを救世主であるかのように崇拝する作者の熱狂さえ許容できるのなら、非常に有益である。

「ベートーベンの生涯」はベートーベンの音楽に付けたナレーションのようなものだと言うことが出来る。

岩波文庫版では書簡や遺書、手記の一部をはじめ独自に付録とした手記とロマン・ロランの熱狂的講演も付く。まあお買い得と言わねばなるまい。文献集が充実しているから物足りない人はここから漁ってくればよかろう。

比較・感想

結論としてロマン・ロランの本一冊でベートーベンの音楽と人生に一歩近く事ができ、そのちょっととっつきにくい難しい音楽により親しむ事が出来るだろう。そしてよこたとくおの漫画も馬鹿にはならない。大人が読んでも今でも十分に面白い。注意しなくてはならないがベートーベンの漫画の伝記は多くあるようだが、よこた氏の漫画でないとダメだということだ。

その理由は絵のタッチとストーリー展開、偉人とか芸術の凄さを子供でも理解できるように工夫して描いていること。これは昭和の純粋な時代の作品だからこそできるのではないか。初版が1978年12月でカバーのみ2008年に一回リニューアルしているが、内容は昭和の時とほぼ同じである。

まとめ

最後になんで今さらベートーベンを聞いたり子供の頃の伝記漫画を読むに至ったか、その経緯を説明して終わる。

知識というものは外国や遠い時代にあるものほど凄いのだろうか。そんなような疑問が私の中で芽生えた。なぜ借り物の舶来の知識ばかり有難がって、はじめから自分の物である知識を深く見つめようとしないのか。

2千年前の原始キリスト教、ギリシャ哲学、エジプト文明などに関する紙に書かれた文字、こんなものが知識なのか。違う。たとえこれらの書物を読んだところで母国語に翻訳して読むのである。そもそも私は自分の国の言葉のことがわかっていない。

五十音、漢字、いつ私はこれを学んだのか。子供の頃である。とすると私に知識を教える存在は私が子供の頃すでに私とともにあった。五十音の一つでも欠けていたら私は舶来の古代の書物だとて読めはしないだろう。いやそれどころか今まで生きてきて、色々なことを聞いたり話したりしてきたが、この経験も崩れるだろう。

その時にベートーベンを聴こう、私が初めて出会った偉大な人の漫画をもう一度読みたい、そう考えた。彼も耳が聞こえなかったけれども、自分の精神の中に壮大な感動の領域を保持していた。その激しさは気を失うほどであり、彼の音楽の教えるところとは人間は自分の中から、自分だけで歓喜の絶頂に達するエッセンスを持っており、そのために必要なのは何もないという真理なのだ。

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