三島由紀夫【私の遍歴時代】青年が“文士”になるまでの赤裸々な回想録
三島由紀夫の自伝的エッセイ『私の遍歴時代』は、中公文庫版『太陽と鉄』に併録されている一編。内容は赤裸々な回想録でありながらも、文学的に洗練され、若き三島のリアルな姿と精神の軌跡が細やかに刻まれた珠玉の小品だ。
黄泉からの告白
ある晩、古本の紙面を通して、三島の魂が私に語りかけてきた――
「あんたは俺のことを、マッチョで軍国的なナルシストと思ってるだろう。
だが、そこに至るにはそれなりの“経緯”があったんだ。」
その声を聞いたとき、私は不覚にも「なるほど」と膝を打った。
死に損なった青年の戦後
本書は、終戦により“生き延びてしまった”二十歳の青年=平岡公威(のちの三島)が、戦後という未知の時代をどう受け止め、「文士」としての人生に踏み出すかの過程を描いたものだ。
戦中は「すべて遺作のつもりで」書いていたと語る彼は、敗戦後に混乱と困惑のなかで宙づりにされたような青年期を生きる。言葉を武器に、法律と文学の間を行き来しながら、やがて大蔵省に辞表を提出。
そうして彼は、**「アウトサイダーとしての文士」**を選ぶ。
この言葉の響きのかっこよさたるや。
文壇デビューの泥臭いリアリズム
三島の小説が「完成形」として最初からあったわけではない。むしろ本書では、出版社への持ち込みがことごとく不発だったことや、周囲の文士との関係、文壇の空気感などが、淡々と、それでいて臨場感たっぷりに描かれる。
「文士=芸術家」ではなく、「文士=職業人」としてのリアリティがここにはある。
その中で三島がいかに必死でチャンスを掴もうとしたかが、生々しく伝わってくる。
文士と肉体と旅
本書の終盤では、彼が作家としての土台を固めていく転機としての“初の海外旅行”についても語られる。行き先は南米・ヨーロッパ各地。戦後間もない頃の海外渡航であるから、当然パスポートはおいそれとは取れないし、旅も船便である。
この体験を通じて彼は、「日差し」「肉体」「外の世界」に触れ、のちの『太陽と鉄』へとつながる“身体への目覚め”の端緒をつかむ。
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文士とは、日々働く者である
『私の遍歴時代』が素晴らしいのは、若き日の三島がいかに文士として努力し、知識を学び、実直に仕事に取り組んでいたかを、まったく自慢げに語らないところだ。
戯曲を書いたときの記述などは、まるで建築士が公共ホールの設計図を引くような緊張感と責任感を帯びていて、どこか静かに胸を打つ。
「太陽と鉄」で見せる肉体の誇示と対象的に、本作の三島は謙虚で、実直な、努力家の青年である。
まとめ|“遍歴”とは「生き残った者」の証明である
このエッセイは、単なる自己顕示や武勇伝ではなく、「なぜ自分はここに生きているのか」「どうしてこの道を選んだのか」という、ひとりの青年の苦悩と自問自答の記録である。
戦中と戦後のあいだで引き裂かれた精神が、言葉と肉体によって再構築されていくプロセスは、今を生きる私たちにも通じるものがある。
三島由紀夫を“思想の人”としてしか知らない読者にも、この「遍歴」は間違いなく心に響くはずだ。
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