【時間稼ぎ】コロナウイルス収束の見込みに付与される期限
天体と時間の哲学
「時間稼ぎ」や「様子見」という言葉がある。あるいは「時が解決する」という諺も。それは、抜け道のない状況に立たされたとき、打つ手のない混乱の中でとりあえず“待つ”という知恵である。
自然は、人間の計画や希望とは無関係に、ただ天体の運行によって移ろう。たとえば“固定された星”と呼ばれる恒星ですら、100年にわずかに位置を変える。宇宙は流動する。
今、我々はCOVID-19という制御不能な災禍の前に、国家も人々も「時間稼ぎ」に託している。まるで愛車が故障して動かなくなった時、まず煙草に火をつけて心を落ち着けるようなもの――それが「様子見」だ。
春分という節目
冬至を過ぎた地球と太陽は、春分点へ向かう。その日は3月20日前後、昼と夜が等しくなる。
多くの国がロックダウンやイベント中止の“仮期限”としてこの日を設定しているのは、どこかでこの天体の位置変化が、疫病に対して何らかの変化をもたらすかもしれないという予感があるのだろう。
天体など眼中にない現代人にとって、それは非科学的でナンセンスに映るかもしれない。だが、星が昇ろうが沈もうが、宇宙は黙々と機能している。そして運命を天に任せるという祈りのような姿勢が、この春分への「賭け」なのだ。
人類の計画依存
パンデミックの只中で気づかされるのは、人類の営みがいかに「予定と計画」に依存しているかということだ。
移動、集会、遊び、仕事、儀式、そして娯楽。人々は時間を“意味ある予定”で埋めることで、不安と虚無を和らげてきた。
だが、それらの多くを駆動しているのは金と欲望、つまり「貨幣」と「色欲」だ。宴会も旅行も、結局は女たちの機嫌を取るための口実にすぎない。そして男たちは、せっせとその場を提供し続ける。
底なしの呪い
前回は“底知れぬ穴”について書いた。それは地球の中心ではなく、むしろ霊的・象徴的な地獄を意味する。科学が測れる場所ではない。
そこには、ダンテの呪いがある。ポーの暗黒、ボードレールの毒、モーゼの厳格、そしてエヴァグリオス・ポンティコスの荒野が広がっている。
仏陀の語る「人は見解によって浄められる」という言葉も、正しくは逆説であって、「人は見解では浄められない」。あらゆる見解・主張・議論を超えて在るもの、それが悟りである。
死者の書たちの共鳴
『チベット死者の書(バルドゥ・ソドル)』、エジプト『死者の書』――“RAの賛歌”、“昼に出でる章”、“金の鷹に変化する章”、“神聖なる鷹へと変化する章”。
これらは文化や地域を超えて、ひとつの声を響かせている。死と再生、魂の旅、時間と解放。COVID-19という出来事もまた、それらの神話のひとつの頁かもしれない。
参考リンク
【ダニエル書】壁に書かれた謎の文字;“メネ・メネ・テケル・ウパルシン”とは
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