【マッドマックス2】退廃的マッド・カー・アクション映画の金字塔|元祖ロード・パンクの衝撃
ジョージ・ミラー監督はこの映画についてこう語ったことがある。「『マッドマックス1』は序章にすぎない。本当に撮りたかったのはこの続編だ」と——。
☠ 1作目の紹介はこちら→【マッド・マックス】1作目についてややマニアックに語る
“ロード・ウォリアー”じゃない、“マッドマックス2”なんだ
筆者はこの作品を「ロード・ウォリアー」と呼ぶのがどうも好きになれない。後年つけられたこの副題は、物語を理解しづらい層に向けた“説明的ネーミング”でしかない。
公開当時、核戦争後の退廃した未来世界を舞台にした映画はほとんどなく、観る側の想像力が問われた。だから「なぜ道路で戦うの?」という素朴な嘲笑もあった。だがそれは、時代がこの映画に追いついていなかったということだ。
独自の世界観と影響力
この「マッドマックス2」は単なるカー・アクションではない。のちの映像作品に与えた影響を見れば、その革新性は明らかだ。
- バイオハザード:アフターライフ
- ザ・ウォーカー
- ターミネーター4
- ウォーキング・デッド
さらには1983年から連載が始まった「北斗の拳」。ケンシロウや悪党たちのファッションは、完全にこの映画のビジュアルからの借用だ。
他にも「キン肉マン」のウォーズマンはダース・ベイダー、ラーメンマンはブルース・リーを下敷きにしている。つまり、1981年公開のこの映画こそが唯一無二のオリジナルなのだ。
公開時の苦い思い出
筆者にはこの映画にまつわるほろ苦い記憶がある。小学生の頃、初心者用ゲレンデで骨折し入院していた。
退院日に「マッドマックス2」を観に行こうと田舎のグラインドハウスへ向かったものの、すでに上映終了。街頭のポスターが貼られたままだっただけに、落胆は大きかった。映画館からの帰り道、その悔しさを噛み締めた記憶がある。
ファッションと退廃美
「マッドマックス2」の敵キャラたちは、70〜80年代のパンクファッションそのもの。特にモヒカン&鋲ジャンのテイストは、GBHやDISCHARGEといったハードコアパンクに直結している。
ヒューマン・ガスのアイスホッケーマスクはジェイソン的で、のちのスリップノットにも影響を与えた。ウェズの相棒は、カルチャークラブ的なユニセックス美があり、男なのにどこか色っぽい。
当時主流だった“ピカピカ信仰”とは正反対に、この映画はボロボロのかっこよさ=退廃の美学を体現していた。錆びたマシン、汚れたレザージャケット、片足を引きずる孤高の主人公マックス——すべてが、今でこそスタンダードになった“ダーティ・クール”の元祖だったのだ。
ラストシーンの衝撃と余韻
物語の終盤、大型タンクローリーで突っ込むクライマックスの激しさは、言葉を失うレベル。
そして戦いの果てに、たった一人荒野に残されるマックス。英雄は語られずに終わる——その静かな終幕が、より一層の伝説性を生み出している。
狂気と破壊の果てに訪れるのは、皮肉なまでの静寂。そしてそれが、彼にとっての“救済”であるかのように。
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