哲学

デカルト【哲学原理】より導き出される真実と認識〜ヘルメス・トリスメギストス教義への応用

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Argument(前置き)

以前の記事で、ルネ・デカルトの方法とは悟性が明晰確実に認識するもの以外は真と判断しないこと(『方法序説』『哲学原理』)、そしてまず最も認識しやすく最も単純な対象から徐々に複雑なものへ思惟の対象を移していくこと(『精神指導の規則』)が述べられた。

筆者はその方法に従ってまず物質世界が存在することは無論であるが、この世界には昼と夜があることを知った。これは何よりも明らかだった。昼は光の反射が形造り、夜とはすなわち光の不在だった。そして昼と夜とを区別している光が太陽と呼ばれるものであることを。

◯参考:→ルネ・デカルト【哲学原理】から導かれる自明な真理について

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昼と夜

昼と夜は交互に訪れ、その交代の規則は破られたことがなかった。見ると空という空間を太陽は東方向から西方向へ移動するのが認められ、地平線から隠れたり現れたりしそれが夜や昼を起こさせるのが認められた。また夜は月という大きな光る星が出たり出なかったりし、その形も色々変化し夜空に不思議な美しさを与えているように感じられた。月の天空上の動きは太陽よりずっと複雑だった。

また夜空には月という大きな光るものの他、数多くの小さな星があった。数多くの小さな星の中から筆者は2つの星を他から区別できた。ひとつは木星といいゼウス、ユピテルになぞらえられる。その名の通り小さな数多くの星の中で最も光り輝き最も大きな星である。

もうひとつは金星といいヴェヌスになぞらえられる。この星が綺麗なのは夕暮れの薄明時に沈んでいく太陽の後を追って西に輝くからである。まさしく愛と美の星。この2つの星はまだ空が薄明るく他の無数の小さな星が見えてくる前に、ずっと早く見られ出す。

ゆえにこの2つの星は宇宙で占める位置が、他の無数の小さな星よりもこちら側に近いことがわかる。同じように太陽に近すぎて目視できない水星(隠れた神メルクリウス、ヘルメスになぞらえれる)以外、土星および火星を目視確認できた。

経度と緯度

これらの覚知には感覚と経験のほかにインターネットなる手段や、義務教育で詰め込まれた雑学なども役に立っている。しかし悟性がいまや明晰判明に認知し、意志がそうであることへ同意する場合それは真なのである。そのようにして地球の自転軸が太陽に対する公転面から23.4度傾斜していることを学んだ。

またロンドンのグリニッジ天文台が地球上の経度を測る基準であること、すなわちここを通る経度をゼロとし北極から南極へ延長する線が子午線と呼ばれる。これに対して緯度とは地球の自転軸と直角で重心を通る大円つまり赤道をゼロとし、北南へそれぞれ上がっていくことを知った。

そして日付変更線は太平洋上に設定されており、いかにも人間が決めたような変な形をしていた。経度の基準が相対的で人間がどこにでも任意で設定できるのに対して、緯度はあくまで赤道がゼロである。天球上の太陽の通り道や春分・秋分、夏至・冬至時の地球の位置は定まっていることを知った。

フーコーの振り子

引き続き筆者は地球の全体を表す地図はメルカトル図法と言って、元来球体であるものを平面に引き伸ばしたものであることを認知した。ほぼ同時に地球の表面は7割以上が海で占められていて、地上の生活が営まれる陸地は3割にも満たないことがわかった。

また地球の7割以上を占める海は大気に接して気象を造りだし、その大きな影響を陸地が受けているように感じられた。地球の自転はかなりの速さで進んでいるそうであるが、それが私たちに実感されないのは車や電車、船の中で乗っている人たちが静止の感じを抱くのと同じなのだそうだ。

自転は感じられないだけで実際は動いている。それをフーコーという人が振り子で実際に証明もしている。地球上の時刻は相対的で経度15度につき1時間違ってくる。日の出・日の入りを決めるのは地平線で、地平線は地球上の任意の観測点と高さで変わる。地平線は通常の視点ではとても狭い範囲しか含まず、宇宙から見たら点にすぎない。

幾何学的実体

球や円、線、点、角度などは幾何学の実体であるが物質世界の認識に役立つ。地球は球形とは言っても完全な球体ではなく凸凹している。それは海のみならず陸には山や谷があることからも想定される。地球表面は大気すなわち空気の厚い層で覆われ気象が発生している。

私たちが自転を感じないのは大地と一緒に大気も同時に移動しているから。電車や車の中で静止を感じるのと同じだ。これがバイクやオープン・カーだと空気は抵抗するから移動しているのがはっきりと感じられる、というわけだ。

創世記

ゆえに私たちは時間が変化している時に地球と太陽の位置関係がイメージできなければならない。でなければそれを理解できていることにはならない。ちょうど平面図と立面図から3D立体をイメージするのと要領は同じだが、運動しているものを思い描くのはもっと想像力が必要である。

これは小学校や中学校で学習させられていてもなかなか難しい。神が自転軸を23.4度傾けられたからである。科学者は何10億年も昔に惑星の衝突がこの傾きを発生させたとするが、そんなのは車と電車がぶつかって車が吹っ飛ばされて偶然家の屋根に乗っかったという以上に馬鹿げている。

義務教育は高校進学のためと名打ってこれら最重要な基本的事実(自転・公転、経度・緯度、メルカトル図法)を幼い頭に暗記させる。だが一緒にデカルトやヘルメスのことなどは教えないから、全く理解できないまま成長し「あんな簡単なことはもう習った」と軽視し侮り忘れる。そして就職して何人かは電車に飛び込む。

建築家でさえ複雑な建物を設計するのに熟慮して線を引く。機械のデザインだってそうだ。なのにこの見事な宇宙が偶然できたとでも主張するのであるか。狂っている。気付いたがデカルトの方法で導き出された個人的な認識の順序が「創世記」の天地創造と順番がよく似ていた。だがこのことは別の領域なので、判断は哲学ではなく詩神ミューズに任せるとしよう。

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