三島由紀夫【サド侯爵夫人】わかりやすく紹介・2018年最新

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概要

戯曲「サド侯爵夫人」は1965年に発表された。ものの1時間で読み終えることも可能。元となったのは澁澤龍彦の「サド侯爵の生涯」である。こちらは分厚いのでたっぷり時間をかけて読まなくてはならないが。

三島氏が着目したのはお得意の表裏一体のサド・マゾヒズムが融合したエロティシズムだ。例によってモテモテのダンディーである三島氏は女心に見事にメスを入れている。

作品は「近代能楽集」を翻訳したドナルド・キーンによって英訳され、マンディアルグにあってはフランス語に精製された。フランス語上演にあってはフランスをはじめアラビア、スウェーデン、イタリア、ドイツなどで上演された鳥肌物である。さらに1979年には劇団が来日し日本でフランス語の逆輸入上演までされている。

昨今だと2009年にはロンドンでサド侯爵夫人役ロザムンド・パイク(ジャック・リーチャー1・ヘレン役)、モントルイユ夫人役ジュディ・デンチ(007スカイフォール・M役)で上演され高評を博した。

◯澁澤龍彦「サド侯爵の生涯」はこちら→澁澤龍彦【サド侯爵の生涯】サディズムと涜神の文学者、マルキ・ド・サドの全て

 ヒロイン

登場人物はわずか6人の女性ばかり、場所はパリのモントルイユ夫人邸サロン。主なのはサド侯爵夫人であるルネ、ルネの母親モントルイユ、ルネの実妹アンヌの3人である。

ルネは放蕩者のサドを支える貞淑な妻で、サド小説のジュスティーヌ的存在。けなされてもいじめられてもひたすら耐え、痛めつけられるほどに夫への献身的態度を示す。

モントルイユは最初こそサドが事件を起こすたびに奔走はしたが、それは家名と世間体のためであった。サドが更生不可能だと知るや鬼女のごとく変貌し、陰謀を張り巡らせてサドを獄に繋ぐ。

アンヌは夫人公認の浮気相手で、サドのお忍びイタリア旅行に同伴した恋人。マンディアルグの小エッセイ「ジュリエット」ではサドの生涯で最も美しい思い出とされる。

他に女中、シミアーヌ男爵夫人、サン・フォン伯爵夫人がいる。

 幕

舞台は3幕。第1幕は1772年秋、マルセイユ事件をサドが起こした直後である。サドは下男を連れてマルセイユへ羽目を外しにやってきた。娼婦マリエット・ボレリの家に女たちを集めて鞭打ち(打ったり打たれたり)をしたのだ。さらに「おならが出る薬」だと言って女たちに媚薬を飲ませた。この薬のせいで女が腹が痛くなってサドは訴えられた。

第2幕は1778年夏のおわり。マルセイユ事件の再審理によっていったんサドは自由になったが、今度は別管轄の警官によってあっという間に捕えられる。ヴァンセンヌの獄へ収容され5年半、その後さらに5年半バスティーユと計11年の牢獄生活が始まる。

第3幕は1790年春。フランス革命が勃発しサドは牢獄から解放された。だがこの時サドは牢獄で自由の炎を燃やし尽くした老人となっていた。書くという行為によってサドは自由だったのだ。いざ娑婆に出されると乞食同然で何をしたら良いかわからなかった。妻に会いに出向くも、冷たく拒絶される。

 まとめ

そのサド自体は出て来ず、背景を基軸としてサロン内で女たちが活き活きと動くのだった。第2幕で明かされる美徳の妻ルネが城で淫交に加わっていたこと。サン・フォン伯爵夫人によって語られる黒ミサのエロティックな儀式。第3幕ではルネの口から夫への崇高な賛美が溢れ出る。

サド・マゾヒズムの表裏一体の愛は三島由紀夫の「獣の戯れ」「愛の渇き」などにも見られ、苦痛と快楽の緊密な結合は「憂国」などの作品にも共通する。三島文学の魅力をヨーロッパ他世界各国に知らしめた偉業的戯曲である。

◯三島由紀夫その他の作品はこちら→【三島由紀夫】作品レビューまとめ〜当サイトによるオリジナル版〜

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