評論

三島由紀夫【太陽と鉄】内容と解説〜三島由紀夫による葉隠的作品

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 死の観念

この作品は念のため2回読み終わった。それくらい三島氏の死の観念、美の理想、切腹の動機をあからさまに説明している。

実は今澁澤龍彦氏の「快楽主義の哲学」も読んでおり、これを読んだあとに比較という形でレビューすべきかと思った。というのは両者の特徴として「極端すぎる」という点が共通しており、二人を混ぜて2で割ったカクテルみたいのがあればちょうど良かったから。しかし時間がかかりすぎるのでやめた。澁澤の本についてはいずれ書こう。

「太陽と鉄」と「快楽主義の哲学」を混ぜてステアすれば、ブルドッグというジンとビールのカクテルが出来上がるだろう。

◯澁澤龍彦「快楽主義の哲学」についてはこちら→澁澤龍彦【快楽主義の哲学】と奇妙な三角形

 内容

はじめに「太陽と鉄」は小説ではない。私も図書館で小説だと思って借りた。この本は三島由紀夫の評論である。内容は大部分が筋トレでムキムキに鍛えた身体の自画自賛、自慢である。そしてクライマックスは体験入隊した自衛隊でF104の戦闘機に乗せてもらって大空を飛んだときの話だ。切腹の3年前に書かれた本のなかで、三島氏は自衛隊に対するこの上なき感謝と愛情を披露している。

また太陽について、特攻隊の遺書について、興味深い記述がある。それらは20歳で戦争と戦後を股にかけた三島氏でなければ書けない貴重な資料である。太陽に対する三島氏の考え方はマヤ文明の人身供儀の儀式を思い出させた。事実氏の血と内臓は自衛隊基地のバルコニーにおいて、自然という怪物に捧げられた犠牲であった。鉄とは、ダンベルのことだ。三島氏は肉体という畑を太陽と鉄で耕した、と譬えている。

 文武両道

この本は三島氏が愛読していた「葉隠」の本人による読替えのように感じた。武士・戦士として肉体の外面つまり皮膚を重んじ、超主観的な論理を独断豪語する。その気概は「葉隠」そのままである。「葉隠」では武士は大高慢でなければならないと教えているからである。

また切腹の時自分の血で色紙に「武」と書く予定だったそうだが(これは土壇場で無しになった)、文武両道を座右の銘とする氏は「武」とは花と散ること、「文」とは花を咲かせることだと本に書かれている。ここからも自決当日の行動のヒントが得られる。

葉隠入門

「葉隠」は三島氏を叱咤激励してくれた、と「葉隠入門」で書いている。そのように「太陽と鉄」は私たち弛んだ現代人を三島氏が鞭打ってくる本である。大多数の人は腹が立って途中で投げ出すかもしれない。何言ってんだこいつ、である。だがそうして氏の言い分を聞いてやらなければ、私たちもバルコニーで演説(しようと)する三島氏に罵声を浴びせた自衛隊員と同じになってしまう。

肉体は言葉を持つ、と氏は書いている。つまりマッチョな肉体はマッチョな文体に照応するというのだ。私は何も言い返せなかった。そういう力技の文体なのだ。「精神の怠惰を表す太鼓腹」「怠け者の言い訳である想像力」と氏は立て続けに言う。何も言い返せない。私は中年となった今では正直メタボなのだ。頭にきたのでこれを読んで以来毎日軽い筋トレを始めた。

事実人間の肉体美が均斉のとれたプロポーションにあること、彫刻は数学的な法則にのっとっていることは真理だから。身体がその本来あるべき姿になる時、その形体は神が想像したままの美しさなのだ。そういうことを「太陽と鉄」は言っている。それは正しい。

肉体美は最終的に剣による英雄的な死、武士の切腹へと結び付く。自決するからにはだぶだぶの腹を切り裂いても美しくない。ああ勿体無い、と言わせるような鋼の身体をあえて壊すのでなければ。

 F104

学ぶべきこと、貴重な記述の多々ある本であるが、氏の人生の最高点はF104戦闘機に乗ったことらしい。そこで何か悟ったらしいのだ。筋肉質な文体で三島化したニーチェが、崇高な境地に達したと宣言する。戦争中に兵役逃れをし検査に通らなかったことは「仮面の告白」にも書かれている。特攻隊のように零戦で空に散ることができなかった相当のコンプレックスが認められる。

贅肉に覆われた体を持つ人間しかマッチョマンを嘲笑しない、と氏は言う。私はダイエットに成功したことはあるが、今はラーメンと酒でメタボだから何も言い返せないのである。だが最後まで首を傾げさせる強引なファシストっぽい論理の本であった。

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