評論

舩坂弘【英霊の絶叫】玉砕島アンガウル戦記・および三島由紀夫の序文

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「武士道」と宗教

「武士道」というものを哲学的に考えることは無謀ではない。無宗教国家とも言える日本の生死に対する考え方を特徴付けるのが「武士」であると仮定するならば、あながち間違ったことではないと思う。

無宗教と書いたのは以下の理由による。すなわち大多数の日本人は人が死ねば仏教の寺でお経をあげ葬儀をするが、クリスマスやハロウィンになるとキリスト教に乗じてお祭りをする。チキンは食う、仮装をする。それだけでは飽き足らず宗教法人の教義に頭を下げ、会費を払ってそれらの教祖を拝む。

特にこれといった信仰がない。先進国でありながら自殺者が多いのも、日本古来の切腹や恥を重んずる「武士道」に根付いているなどと言われる。西洋で一般的なキリスト教においては自殺は最悪の罪であるにもかかわらず。

「武士道」を日本特有の一種の宗教だとする。それは戦士のための宗教であり教祖なき教義だ。日本の武士の起源は10世紀頃という説だが、これに対し仏教やキリスト教は紀元前まで遡る。宗教が真理を説き普遍の正義のためにあるとすれば、「武士道」は長い歴史の流れの中で一時的な現象が形をとったものにすぎない。武士道はかっこいい・美しい・強いといった外面的な価値でしかない。誰かを救うものでもなく慈悲をかけるものでもない。

なので「武士道」を一個の自分の宗教とする時(なぜなら武士道は死後の世界や成仏を否定しているから)、真理とか人間に備わった考える理性といったものらを放棄している。

◯参考:昭和2年発刊・和田克徳「切腹哲学」について→和田克徳著【切腹】【切腹哲学】レビュー〜紹介・感想・考察

 プライベート・ライアン

この本はまぎれもない「武士道」の本である。三島由紀夫の序文も素晴らしい。太平洋戦争のアンガウル島における日本軍の玉砕を生還した著者が見、伝えることは現代の日常からかけ離れた凄惨な生存状況である。それは甘っちょろいレベルではない。映画「プライベート・ライアン」のような激烈な戦闘シーンが延々と続く。アンガウル島は硫黄島と違って通信が遮断されたため、それ以上に熾烈な戦況が記録として伝わらなかった。

この日本版プライベート・ライアンは大日本帝国の軍国主義に染まった「武士道」であるため、兵士たちは命も惜しまず無謀に玉砕や自爆をする。第二次大戦末期の神風特攻隊の元となった「斬り込み隊」が夜半に活躍する。夜の闇の中、日本刀一丁で敵の只中に切り込んで米兵をなぎ倒すのだ。そして自分も死ぬ。

 自爆攻撃作戦

著者は全身5箇所に致命傷を受け、陣地の洞窟に潜んでいた。連日米軍の砲弾や銃弾が鍾乳洞の岸壁に轟音を響かせる。鍾乳洞内では大勢の日本兵が腐ったり自決したりしている。その凄まじさはとてもここには書かれない。

ある日どうせなら米軍の司令官どもを道連れにして花と散る(これも武士道)ことに決め、右腕と右脚しか自由でなかったが手榴弾5個を身体に巻きつけて著者は米陣営を目指した。

何日も慎重に匍匐しようやく司令官のテントにたどり着き、意を決して斬り込むや首に銃弾を打ち込まれ倒れる。以後3日間著者は「戦死」状態になっていた。

捕虜収容所

奇跡的に蘇生し著者は収容所の病院で目覚める。キリスト教国家であるアメリカ人は舩坂を「勇敢な英雄」として手厚く看護したのだ。またジュネーブ条約が捕虜の虐待を禁じていた。

収容所で著者はクレイショーという米兵通訳と出会い話し合うようになる。クレイショーは人は殺すべきでないという心情から、非戦闘員として志願していた。だが舩坂は生きて恥を晒すくらいなら殺せ、と言って聞かなかった。またしつこく飛行場の自爆計画を実行しようとさえした。その度にクレイショーに嗅ぎつけられ、止められるのである。もし実行すれば即座に射殺されたであろう。

クレイショーはキリスト教の教えを、舩坂は「武士道」の教えを伝え合ったが戦時中という障害が二人の理解を妨げるのだった。クレイショーが自爆攻撃に向かう著者を押しとどめて強く言った言葉は、片言の日本語であった。

「神サマニマカセナサイ」

自分で死に急ぐことはない。それは罪悪だ。生きるのも死ぬのも神しだいなのだ。というようなことをクレイショーは著者に語った。

これに対して著者がクレイショーに教えたのは「花は桜木 人は武士」であった。

人というものは桜のように潔く散るものだ、という意味であろうか。花と散る、とはこのことだ。

 桜

以後著者は収容所を転々とし昭和21年にようやく帰国するまで戦死扱いだった。アンガウルの千名を超える日本兵は玉砕した。死を覚悟し華々しい死を求めた結果、皮肉にも生き残ってしまった。その奇跡とも言えるのが本書だ。

クレイショーと著者は昭和41年に羽田空港で再会する。ガッチリと飛行機のタラップ上で抱き合う二人。舩坂氏はクレイショーに日本の桜を見せたかったのだ。

 日本刀・関ノ孫六

この書を原稿の段階で見せられ、感銘を受けた著者と剣道仲間の三島由紀夫は序文と添削を無償でしてあげた。本文もさることながら序文も鬼気迫る名文なので一読されたい。本書はそのおかげで高評を博し、現在も文庫版として市販されている。

この本を読めば退屈なワンルームの部屋の空虚や、日々の単調な繰り返しが奇跡のように思われることだろう。

三島由紀夫は序文のお礼として舩坂氏愛蔵の日本刀である後代「関ノ孫六」を贈られた。その日本刀が三島由紀夫自決の介錯に使用された。三島由紀夫は「武士道」という宗教のために死んだ、と私は思う。

著者舩坂弘氏は言う。アンガウル島に散って行った英霊たちが私を生かし、この本を書かせたのだと。とすれば同じ抗えない「武士道」などの及びもつかない神の力が三島由紀夫に日本刀を贈り、三島は自決したという結論になるのである。

◯「関ノ孫六」についてはこちらへ→舩坂 弘【関ノ孫六・三島由紀夫、その死の秘密】解説・紹介 2018年最新版

まとめ

ひたすら残酷で凄惨な描写ばかりではない。米陣地へ何日もかけて忍び寄る様はゲリラ戦の猛者・ランボー顔負けで驚くだろう。また本のラスト近く収容所で飛行機爆破計画のために、マッチ10本をラッキー・ストライクと交換で韓国人から入手する下りなんかはコミカルで笑える。収容所の韓国人は死ぬまでに本物のタバコを吸いたかったのであり、そのためなら銃殺の危険さえ犯すのである。

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