エッセー

【原宿ホコ天】の記憶〜バンドブームとアマチュア・パンク・バンド

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特定を若干おそれながらもすでに30年に近い年月が経過していること、及びWEB上の資料的価値を考慮し1980年後半〜1990年初頭の原宿歩行者天国とそこに実在したパンク・バンド「バーニング・キッズ」について語る。

 ホコ天

それは代々木公園の南側と国立競技場の間の413号線を、日曜日だけ車両通行止めにし歩行者に解放した文化だった。1990年初頭から徐々に勢いが落ち、1996年に試験的に中止され1998年完全廃止された。発祥は1977年まで遡るが、何と言っても日本のバブル期に到来した奇怪な「バンドブーム」なるものの主な活動の場として知られよう。

「イカ天」と称されたアマチュア・バンド発掘番組の衰退とともに、原宿ホコ天は運命を共にするかのように消え去った。全盛期には毎週日曜日に10万人集めたというこのホコ天は、バブルを象徴するお祭り騒ぎのようでもあった。米兵を中心とするナンパ目的の外国人や観光客も多く見かけられた。

日曜日朝早く、各バンドは道路の両側で野外演奏する場所を取る。機材を借りる相談をし合ったり金銭上の取り決めをする。時間になるとあちこちでステージが始まり、多くのファンが好きなバンドの前に陣取る、といった具合だ。有名な人気バンドだと人だかりが出来、若い女の子だらけになった。演奏は夕陽が傾くまで続き、幸福な一日が終わる頃人々は満足して家に帰るなりメシを食いに行くのだった。

 ドラム

中学3年の時ドラムのスティックを買い、すぐ中古のドラム・セットで練習した。MTVやビルボードのランキングにいつも関心を持ち、FMステーションという雑誌でラジオ番組をチェックした。好きな音楽がラジオで流される瞬間に、モノラル・ラジカセの再生ボタンと録音ボタンを同時に押すのだった。するとカセット・テープに曲が録音され、こうしたツギハギだらけのオムニバス・テープが宝物になるのだ。

当時ブライアン・アダムスやスターシップが好きで、楽譜を買って来てドラムを叩いていた。やがて高校になるとセックス・ピストルズと出会った。もちろん友達とカセット・テープを貸し借りして聴いたのだ。ショックを受けた私は徐々にパンク・ハードコアに道を外れていく。パンク・ロックとはただの音楽ではなく、生き方・考え方を変える哲学だった。ジョニー・ロットンやシド・ヴィシャスに憧れ私はパンク・バンドをやりたいと願うようになった。

 パンク

私のような田舎者がバンドをやるために地方から東京にたくさん出て来た。「バンドやろうぜ」というこれまた雑誌があって、読者がメンバーやバンド募集のハガキを出すと紙面に2〜3行載るのである。「良いパンク・バンドに入れてくれ!一生懸命ドラムやる!!」というバンド募集のハガキを私が出すと、すかさず5〜6通のハガキが自宅に届いた。ということは昔の雑誌は住所を晒していたのであったか。今から考えればこわいがあまり覚えていない。その中からヤング・ジャンプの表紙に載ったことがあるぜ、と自慢しているパンク・ハードコアのバンドを選び、返事を書いた。

 原宿駅

原宿駅ホームに着くとメンバーが待っていた。ベースとギターだった。一人は見た目サングラスをかけた黒髪のシド、といった感じ。後で知ることになるのだが、この男は実はモテモテの日本男児のような奴だった。当時珍しい硬派っぽい感じで彼女の他にいつも違う女がいた。もう一人はGBHっぽいルックスの髪が跳ね上がった金髪だった。こちらもサングラスをかけている。この男は素材はあまりよくないが演奏とファッションがやけにキマっているため、ちょっとしたメディアに写真がよく載っていた。私にハガキをくれたのはこいつだ。

やがて一生忘れられないだろう衝撃が田舎から出て来たばかりの私の五感を襲った。駅の階段を喚きながら一人の米兵と一緒にヴォーカルが駆け下りて来た。この男は背が低いジョニー・ロットンみたいだった。美しくケバく、気が狂っていた。つい最近ホコ天でこいつらは下半身を露出して有名になっていた。先頭を切ってチ◯ポを出すのはヴォーカルで、つられてバンド取り巻き連中も出すのだった。

取り巻き 

多くの人気バンド、BOOWYなどもそうだったようにこのバンドにも常に「親衛隊」がいた。ホコ天やライブハウスに必ずやって来ては、最前列で踊ったり暴れたりする連中。なかでも有名だったのが前述した外人ブライアン、あとラーメンというパンクの象徴のようなヤツがいた。二人ともバンドの客で演奏はやらなかった。ブライアンはよく差し入れのビールを抱えた米軍の友達を連れて来てくれたものだ。

その日は歓迎の意を表し、私はピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」をホコ天で演奏させてもらった。

<試聴する⬇>

God save the queen(remasterd) applemusic by sex pistols

 メンバー

メンバーのヴォーカルは太一、ギターがガンマ、ベースはおだっち、そしてドラムが私だった。私はスキンヘッドだったので「ゴム」というあだ名をもらった。以後作家志望としてバンドをやめるまでゴムとして活動を続けた。あとギターの友達でカニ君がいた。この人はちょっとアブナイ方でフィリップ・K・ディックが好きだった。ブレード・ランナー、マイノリティ・レポート、トータル・リコールなど数々の映画化で、今でこそ知らない人がいないアメリカの作家である。カニ君は時代の先を行っていたのだろう。私はバンド活動と一緒に文学も併行してやっていたので、しきりにフィリップ・K・ディックを読めと勧めるのだった。またエドガー・アラン・ポーについては彼と話が良く合い、作品についてしばしば語り合った。

◯エドガー・アラン・ポーの関連記事はこちら→【エドガー・アラン・ポー短編作品】オリジナル・レビューまとめ

 バーニング・キッズ

原宿ホコ天をメインに活動していた「バーニング・キッズ」(the Burnning Kids)について私が知っている情報は以下である。

おだっちがヴォーカルだった「ガレージ・アーツ」と太一が演っていたバンドはホコ天でいつも一緒に演奏し、パンクスたちに大人気だった。二つのバンドが合体し「バーニング・キッズ」はホコ天最強のパンク・バンドになった。

人気ヴォーカルが就職のため脱退するとバンドは再びおだっちを中心とする「ガレージ・アーツ」になった。後ガレージ・アーツはおだっち、ガンマ、私とベースは色々変わったがしばらく活動していた。ホコ天だけでなく高円寺2万ボルト、レイジー・ウェイズなどによく出演した。メジャーになりたくて新宿ロフトに出た時は不評でボロクソに言われた。

やがて私は文学と詩にのめり込むためにバンドを脱退し、一切メンバーや友達と連絡を絶った。ホコ天はバンドブームが白け、日本のバブルの浮かれ騒ぎの終了とともに人影がまばらになっていった。住民が治安に騒さくなってきたのもあるだろう。原宿歩行者天国はついに廃止された。忙しく走る車ばかりの413号線にかつてあった光景は、海に沈んだ幻の大陸アトランティスのようにもはや再現不可能である。

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