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三島由紀夫はなぜ自決したのか考えてみた〜その答えとは

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この記事を書いたのが2017年7月31日である。ニュースで北朝鮮ミサイルだ政府の憲法改正だの報道している中、なんとなく三島自決演説動画を観た。それで書いたのだ。

いまは2018年1月下旬。東北だけでなく全国的に寒波が襲って日本列島は氷の世界と化している。

あれから三島由紀夫作品をかなり読み込み、それとともに関連作品や資料を漁った。そしてなぜ三島由紀夫は自決したのか、という問いの答えは私の中ですでに出ている。

その答えは記事の末尾で書こうと思う。また考えが改められた点については註を付けよう。

◯三島由紀夫自決関連資料→舩坂 弘【関ノ孫六・三島由紀夫、その死の秘密】解説・紹介 2018年最新版

舩坂弘【英霊の絶叫】玉砕島アンガウルと三島由紀夫の序文・2018年最新レビュー

海外評価が高い三島由紀夫

海外においても評価が高い日本の作家、三島由紀夫。日本文学は童貞の学生時代によく堪能したが、三島を読んだ記憶はほとんどない。いくつかの作品を読んだのかもしれないが、意味がわからなかったのかもしれない。近いうち図書館から借りてきて何か読んで見ようと思う。その時はレビューを書くのでよろしく。

はっきり読んだと記憶しているのは「サド公爵夫人」である。内容はあまり覚えていない。感触はまあこんなもんか、という程度だった。

フランスの作家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ氏はその晩年、日本文学に興味を示し中でも三島由紀夫は大変リスペクトしている。「サド侯爵夫人」やその他に三島由紀夫の戯曲「熱帯樹」のフランス語訳を出している。

◯三島由紀夫作品レビューはこちら→【三島由紀夫】作品レビューまとめ〜当サイトによるオリジナル版〜

◯「サド侯爵夫人」についてはこちら→三島由紀夫【サド侯爵夫人】わかりやすく紹介・2018年最新

澁澤龍彦vs三島由紀夫

若い頃澁澤龍彦にハマっていたので、彼と同時代の三島にも多少関心はあった。三島由紀夫氏としては、日本という文化の遅れとかレベルの低さを正面から受け入れ、いったいどうしたら低俗な日本人が世界史の中で偉大な名前を残せるか追求しているように思えた。その気持ちは自分でもはっきり理解できたからだ。

日本には西洋のような偉大な建築物がない。つまり日本の先祖は西洋のような仕事をしなかったのであり、日本人はそういう民族の成れの果てである。建物だけではない、学問だってそうだ。せいぜい方丈記とか源氏物語とかが残っているにすぎない。それらを読んでみても何も学べない。それに対してギリシャ人は紀元前にすでに深遠な学問を探求し書物として残している。

澁澤達彦がインターネットのない時代にあまり知られていない西洋の文化・学問を羅列し紹介してくれたおかげで、鎖国歴のある小さな頭の民族の思考がいくらか拡大された。それによっていかに日本人というものが劣っており、惨めであるかが認識された。少なくとも三島由紀夫は認識するだけの正直さと勇気を持っていたのだと信ずる。

註:そうではなかった。三島由紀夫ほど日本の古典や文化に親しんだ勉強家はいないほどだった。日本固有の文学や美を愛し、自らそれを守ろうとしたのだ。純日本的な様式美があってこそ、三島文学は海外での評価も高い。

◯三島由紀夫と澁澤龍彦についてはこちら→澁澤龍彦【快楽主義の哲学】と奇妙な三角形

右翼っぽい行動思想

その死に方や行動、思想があまりにもいわゆる右翼っぽいため、一般人には理解できないし私も理解できないが、三島氏の自衛隊の基地での最後の演説を動画で観てはっきりそう思った。なぜなら三島氏は「武士」という言葉を連呼していたからだ。

そう、武士道こそ唯一猿真似ばかりの日本のオリジナルであり、世界に通用するためのツールだからだ。また第二次世界大戦の末期に大日本帝国のために活躍した神風特攻隊も武士だと言える。

ムキムキに鍛えて上半身裸になり、日の丸のハチマキを巻いて日本刀をかざす三島の写真がまさしく武士である。最期は基地のバルコニーで演説したあと切腹し部下に命じて介錯させた。介錯とは切腹した武士の首を日本刀で切断し敬意を払う行為だ。学校の先生は三島の切腹は堂々たるものだったと教えてくれたが、短刀を腹に突き刺した後、さらに自分の腹を裂いたのでそう言われるのである。

このマゾヒスティックな行為に対し、理想に到達したくてもできない作家としてのジレンマ、コンプレックスといったものを感じるのは自分だけだろうか。バルコニーで自衛隊に向かって演説、誰が聞くだろうか。そもそも動画では怒号が大きくて三島の言葉はあまりわからない。だからあれは演説というより派手な演出といった方がふさわしいだろう。何れにしても自身のたった一つの生命をあんな風に終わらせたのだから、あのような最後こそが三島由紀夫としての最高点だったのだろう。

◯三島由紀夫の持論について→三島由紀夫【太陽と鉄】内容と解説〜三島由紀夫による葉隠的作品

◯三島由紀夫と武士道→【葉隠入門】三島由紀夫による「葉隠」の解説書を紹介

◯三島由紀夫の思想形成→三島由紀夫【私の遍歴時代】青年が「文士」になるまでの赤裸々な回想録

答え

三島由紀夫の自決の原因は、「切腹願望」と「武士道」へのミーハー的憧れである。晩年氏が結成した「楯の会」は、氏の個人的美学の達成のために利用された。あの青年たちはいわば道具である。

であるからさらにその死の謎の根本原因がどこにあるかということになると、武士とは何か。切腹文化とは何かという点に帰結する。

それらについて語るとすれば、日本の歴史を探求し学ばなければならない。なぜ武家政治が起こったか、そして滅んだか。

なぜニュースは毎日ありもしない未来にばかり目を向けるのだろう?(笑)

2.26事件の時、昭和天皇が下した言葉をどれほどの現代人が知ってることか。

「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」(私の手足と信頼する老臣を殺戮するという凶暴な将校たちは、どんな理由があろうと許されはしない)

神風連の乱や2.26事件、神風特別攻撃隊に心酔する三島由紀夫とは武士道に魅せられた中学生のようである。最も血気盛んな20歳の時、戦場で華々しく死ねなかったことへの蟠りが死ぬまで拭えなかった。

であるからいい歳して反体制行為へ走ったとしか言い様がない。

では武士道とは何か、切腹とは何か。

これから研究しようと思うが、私は文学に興味があるのであって戦士になりたいわけではない。私の戦いはとうの昔に終わっているからだ。

*註:「武士道」と「切腹文化」についての資料はこちら→和田克徳著【切腹】【切腹哲学】レビュー〜紹介・感想・考察

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